その後Mさんは宇佐神宮を案内してくれた
Mさんは鯉の餌をおもむろに飼い、ばら撒き始めた
でも鯉はあんまり近寄られると怖いという
鯉が寄ってくるのは仕方がないのだが、私達は同時に寄ってくる亀達目掛けてあげる事にした
この時は途中に下宮があるのがわからなかったのだが、階段の一番上の上宮だけ参拝した
そして奥にある三つの池に行った
なぜ、三つの必要があるのか?
宗像三女神が深く関わっている気がする
「この三つの井戸はそれぞれ女の人が中に入ってそう」
実際、入っている様に見えた
Mさんは怖がっていた
いけない、表現方法が怖かった・・・
と反省しつつも集中するとなんとなく御霊が込められているが実際の肉体を人身御供で差し出したわけではない様に感じた
感じるだけで真偽の程は不明だけれど・・・
とにかく三つというのは当時のこの井戸を作った人達にとってとても重要だったのだろう
私はペットボトルにそのご神水を汲んだ
Mさんは三つそれぞれの井戸にかぶせてあった御簾を持ち上げてくれて怖いのに申し訳ないなと思った
翌朝、私は予約してあったタクシーに乗り込み、宇佐神宮の奥宮があるとYさんが話してくれたO山へ行くことにした
ホテルから山へは、15分程度だった
運転手さんはとても親切な方だった
「熊は大丈夫だと思うんですがね、猪がね、たまに出るんで気をつけて」
「猪・・・ですか」
ど、どう気をつけたらいいのだろう・・・
猪が出た時のための心構えをイメトレしながら、登山口に着いた
登山口に一礼をし、山へ一歩踏み出した
山は樹林が沢山茂っていて、午前中なのに薄暗かった
私以外誰もいなかった
私が、もし神様に通じていれば
通じていれば自ずと私一人になる
人払いが起きる
それは宗方大島に行って翁の神様にそう言われた時からそうだと思っていた
山道は台風の直後で滑りやすく、歩幅が狭いところでは容易に滑落しそうに見えた
自分の呼吸だけが響いている
それでも石を積み上げた道には人の手が加わって、他の人の気配があった
心細さが少し和らいだ
途中お地蔵様らしき石像があったのでご挨拶した
道を進んで行くと土の道の傍らに苔むした石がごろごろとあった
人の手が加わったものに私には思えた
私、ここら辺で遊んでいたな
と唐突に思った
この石は加工した石
石を加工する技術を持つ集団がこの山にいた
私はここら辺を縦横無尽に駆け回っていた
その思いが消えなかった
歩き進むと突然コンクリートで舗装された道に出た
どうやら超ショートカットで歩いて十数分で山頂に着くコースもあるようで、そのショートカットコースの道だった
それでもすぐに舗装された道は終わって、石がごろごろとした広いところに出た
左を向くと、石畳のような物が続いていた
私は左に歩いて行った
石畳は山道で、そこがO山の山頂のO神社だった
まず私は京都のこの神社の奥宮、真名井神社を思い出していた
そっくり・・・
大きな樹木、広場・・・
そして巨石
最初に向かって左にある八坂神社にお参りした
Yさんの言いつけ通りお酒をお供えする
とても優しい感じの空気に包まれた
温かくて、包容力があって、洒脱で・・・
私はこの雰囲気を知っている
Yさんだ
お社の前には、みずらを結った男の人があぐらの様な体勢でいた
顔はよく見えない
それでもウェルカムな事はわかった
辺りにお味噌汁の様な、何かを煮るいい匂いが立ち込める
知ってる
この人(神様)、Yさんだ
よく来たね・・・という雰囲気
私は既に五、六歳の女の子になっていた
八坂神社を後にして、向かいにある奥宮拝殿に向かう
その間の広場では、私がいた
私と私の仲間立達・・・同い年くらいの女の子でみんな髪型がおかっぱで、白っぽい服を着せられている
拝殿にお賽銭をお供えしようとしたその時———-
私は今まで味わった事のないトランス状態になった
ぐらぐらっと揺らぐ感じ・・・
私は五、六歳の女の子でここにいる
ここは巫女の養成所
広場では同い年の子が二十人くらいいる
巫女の候補と言えどみんな子どもだから伸びやかにしている
名前はウタリ・・ウクリ・・??
楔文字の様な記号の様なもので自分の個人名を記す
それ以外は、単に大人達は「子」と呼んでいる
私より成長した十代の女の子は顔に紅をつけ、髪も結い上げている
おでこには吉祥紋の様なつぶつぶの印
印・・・?
拝殿すら覆う様に、拝殿の奥にある奥宮の鳥居から、力の強い青と緑の色がこちらまで届いている
奥宮には神と同体を果たした三人の女性達がいる・・・
広場のこちら側はカラーで見えるが、三人の女性達の肌は真っ白で、それでいて真っ青だ
今までの経験から巫女の肌は白く見えると学んでいた
彼女達は神と同体であるが故に下半身は捻れて大地にくっついている様に見える
彼女達が左手を私達にかざした時、それは「合格」の意味だ
巫女としてなにがしかの通過儀礼を果たした時、左手がかざされ印を受ける
私がお賽銭を持ちながら視えたものはそんな光景だった
八坂神社の男の神様は引率する人・・・
巫女候補である子供達を面倒見る人・・・
ひとしきり拝殿や奥宮を眺めた後、左手に下る道がどうも気になった
道を下ると、湧水があった
湧水の流れる先に岩があり、岩は三つの穴がくりぬかれていた
私、知っている
ここは私よりも年上の女の子が水を汲みに来ていい場所
八歳から十一歳くらいに見える
ここも宇佐神宮同様どういうわけか、三つ穴が穿たれている
そういえばこの山は、奥宮の三つの巨岩は、宗像三女神が降り立った場所とされる
私はその湧水を汲んだ
ずっと、ずっと山に登ってから私が五歳六歳くらいの事を思い出していた
祖父祖母に育てられていた自分
かなり可愛がられていた
家の横には若宮神社があった
ある時両親が別居した
私が七歳の時だった
祖父祖母に育てられていた、あの万能感自己肯定感がある状態で山にいた
そのまま山を降りた
あともう少しでタクシーの運転手さんが待っている登山道の所で怪しいスピ系団体とすれ違った
一人は螺貝を抱えている・・・
もし、頂上で彼らと一緒だったらとてもじゃないけれど私はここまでトランス状態にならなかったと思う
彼らはけたたましく話し込み、螺貝を吹き始めた辺りで私は運転手さんの待つ登山口に出た
やはり、人払いは起こった、と思う
「どうでした?」
運転手さんが聞いてきて、私は思わず自分の出自を明かした
だけれど、運転手さんはいぶかる事なく接してくれた
そういう大事な所は自分一人で行くべきですよねという意見でさえ一致した
私は山を降りても、全く子どもの感覚が抜けきれずにいた
その感覚のまま、宇佐神宮に再び行った