実録霊性開花日記

e-mail camphor.eri.project@gmail.com 山楠えり 2018年7月にセドナに一人旅をして何かが開花して帰国

十一月の奈良 明日香村と宝来山古墳

明日香村

明日香村は正直あまり何も感じなかった・・ので省略しようかなと思いましたが、さらさらっと書きます

↑あ、こう書くとまるでつまんなかったみたいですが長閑ないい所でしたよー

まず奈良県全体柿の木が植わっていて、ちょうど柿のシーズンに行ったので晩秋の風情があった


干し柿や煮麺や、食べ物は体に良さそうなものがやたらとあった


石舞台・石

蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台

墓の中に入るというのはなかなか無い経験だ




↑車を出してくれた友人が撮ってくれた

ひんやりとする内部の石肌を触ってみる
・・・上に向かって何かをあげようとする気配はあるけれど、微かだった
おそらく沢山の人の出入りで元々の気配が薄くなっているんだと思う

内部から外に出てくるりと石舞台の周りを一周してみた
当時の技術からは考えられないくらい精巧に石が組まれていた

酒船石

酒船石は美しい竹林の中にあった
人があまり居なかったので石に触ったりじっくりと視た




海女さんが身につける様な白い服装をした女の人達数人が水をこの石に流している
大きなくぼみの所にどろどろの液体があり、水を流す事でどろどろの液体が冷えて黒い丸になり、
ころころと小さなくぼみに集まる
金属の加工の風景の様に視えた

酒を作るための石だったという一説があるけれど、
酒ではなく金属なのかも知れない

飛鳥寺

日本最古のお寺と言われているらしい
ここに行った限り、2019年4月の時点で菩提寺以外は寺院を訪ねて居ない

お堂に入った途端目に飛び込んで来る大きな仏像
ちょうど説明役の方と他の参拝客がいらしたのであまりちゃんと視られなかったのだが、

え、機械じかけの目??

と一瞬勘違いしてしまう程大仏様の目がしきりと動いて居た


誰か困っている人はいないか、誰かが泣いていないか、と辺りを見回している様に感じた

神社とはまた違った、セドナの教会で感じた様な人々の願いが像に反映されている様な、
幸せや平和を願う人の気持ちが集まってふんわりとした優しい雰囲気のある堂内だった

飛鳥寺建立に関わった聖徳太子像もあった


後世に作られた像なので、聖徳太子ご本人に似ているかは定かではないけれど、
その像を見ていたらなんとなく聖徳太子は髪が黒々として豊かだったのでは? と感じた

宝来山古墳

この古墳は実は全くノーチェックだったのだけど、
セドナに行った時に、頭の中に「宝来」という言葉がしきりに浮かんで来た

蓬莱でもなく宝来
スマホで宝来という言葉の意味を調べてみると、弘法大師が生みの親の切り絵だった
セドナで仏教的な言葉を浮かばされても・・・と困惑気味だったけれど、
スピリチュアルショップでそれらしきものを一応探してはみたが結局見つからず、
その言葉が浮かんだ事もすっかりと忘れていた

・・・のだが、奈良に宝来という地名があった
神社や寺はないかと地図で見てみたら、宝来地区でめぼしい所は宝来山古墳しか見つからなかった
友人の運転する車で古墳近くの駐車場まで行ってもらい、夕暮れ時の中を周囲に池がある古墳まで歩いた

古墳をじっくりちゃんと視るというのは初めてだったので、果たして何が視えるのかと思ったのだけれど

柵から手のひらを上に向けていたら、段々と視えてきた

私の手のひらにすがって来る小さな白い手が沢山



柔らかそうな薄い生地で出来た桃色の裳をつけた女の人



垂仁天皇の墓とされる古墳の傍らには離れ小島があり、垂仁天皇に忠義的だった田道間守という人の墓がある
その方角から白い光が古墳に向かって伸びていて、
古墳の方からも小島の方に向かい白い光が伸びていた


最後に白い顔の女の人が視えた
髪は大部分垂らしていて、最初に視えた女の人より貫禄があり、顎の辺りがたっぷりとしている
とても身分が高そうな雰囲気で、緑地に金色の刺繍のケープの様なものを身につけていた
どちらの女の人も悲しそうにしていた

男性であるはずの垂仁天皇の墓なのに、なぜか視えたのは女性二人だった



後で垂仁天皇とその皇后について調べてみたら、皇后が皇后の実の兄と男女の中で、皇后が兄と共に自殺してしまうという劇的すぎる逸話を持つ方々だった

セドナで浮かんだあの宝来とこの宝来が果たして合致するのかは、結局わからないままになってしまった