万国民の教会
Sさんのガイド最終日ともなると、私がどういう場所に関心を示すか理解してくれて当初のスケジュールより結構変更されていた
三日目の朝も軽い、もしくは重い下ネタを聞きながらゲッセマネの園に到着した
《Church of All Nations》パレスチナ地方の古都エルサレム東部のオリーブ山西麓にある教会。古代ローマ皇帝テオドシウス1世が4世紀に建てた教会に起源する。新約聖書のルカ福音書によると、隣接するゲッセマネの園において、イエスが処刑前夜の最後の夜を苦しみながら神に祈ったとされ、「苦悶(くもん)の教会」ともよばれる。現在の教会は1925年に世界12か国からの献金によって再建された。
教会の外階段に座りながらこの説明より更に詳しい説明をSさんから受けた
「あそこからイエスはロバに乗ってエルサレム入りしたんだ。当時の人々はイエスがエルサレムに着くまでに起こした数々の奇跡の噂が轟いていたから、メシア(救世主)が来たに違いないと大歓迎した」
「だけど勝手に人々から期待されたイエスは彼らを貧困から救う、彼らにとって都合のいいメシアではなかった」
「裁かれた後のイエスは最後の晩餐を弟子達と取り、このゲッセマネの園で最後の祈りを神に捧げた」
Sさんは"いい声"でわかりやすく解説してくれた
なので無知な私にもイエスの動向が想像できた
万国民教会に入ると、ちょうどミサが行われていた
司祭がいて、前列の人達はミサに参加している
どうする、前方に祈りを捧げた岩と言われている岩あるけど、見たい? とSさんに聞かれたけれど、10分ごとに人々がその岩を触りに行き祈りを捧げていたので遠慮した
ミサをじっと見ていたら、こんなマークが大きく大きく祈りを捧げている祭壇に見えた
祈りは上(神)に届き、人に還り、やがて地に還る
神の為に祈る
人の為に祈る
地を安寧にする為に祈る
そんなイメージが浮かんだ
日本の神社と似ている様で似ていない様な・・・
天
地
人
とか
三位一体
とかが浮かぶ
神を表すヘブライ語、SHINも三つにょにょん、とある
SHIN=神
と結びつけるのは安直なのだろうか・・・
「実は最後の祈りを捧げたんじゃないかと言われている岩、外にもあるんだよ」
とSさんが言うので、教会横に移動した
通路があって、目立たない所にゴツゴツとした岩があった
昔はオリーブだらけで建物もなかったはず
「この岩に突っ伏して神に祈っているのを、おそらく弟子達はそこのオリーブの木々の辺りから見ていたんじゃないかなー」
とSさんは言った
私はしゃがんで岩に触り、イエスキリストが祈った時こんな感じだったのかなーと言う体勢で岩に突っ伏してみた
突っ伏して数分が経つ
その間後ろを参拝客の人達が通り抜けていく
Sさんは岩のすぐそばにあるベンチに座っていた
私もベンチに座った
「もう恐怖やそういった負の感情はこの夜をもって最後にしよう」
「覚悟を決めて神の御心のままにする。するから覚悟をする準備をください。本当にこれでいいのか、合図をください。悲しさ、恐怖、逡巡と色んな感情が駆け巡っていたはずです」
私はオリーブの木が沢山植わっているのを見ながらまるで独り言の様に言った
「激流の様な感情の流れを感じます。彼はおそらく人間的な感情を見せたのはこの夜が最後なのではないでしょうか」
Sさんは静かに聴いてくれて、
「そうかもね。聖書には血の汗を流したとある。頭の血管とかが切れたのかな」
と答えた
その答えに、女性が出産で顔に力を入れていきみすぎるとこめかみやおでこの血管が切れる話を思い出した
その後、すぐそばにある鶏鳴教会に行った
祭司の邸宅跡に建てられた教会と言う事で、地下に罪人を収容する牢獄がある
鶏鳴という名前は、あの有名な
「鶏が鳴く前にあなたは三度私の事を知らないと言うだろう」
とイエスが一番弟子のペトロに言った言葉からその名前が取られている
Sさんは一階の祭壇で詳しく説明してくれた
裁判にかけられたイエスはどんな質問にも黙秘を貫いていた
無罪という雰囲気が色濃い中、大司祭が一番最後に質問をした
「あなたは神の子か」
イエスは口を開いて、その質問を肯定したと聖書にあるそうだ
その時代のこの国では、人間が神の子と名乗るのは神への冒涜だとされていた
かくしてイエスは裁きを受ける事になった
祭壇を見ながらSさんの流暢な解説を聴いていたら、
X
P
pet....?
pi la...?
とりあえず XとPとeとOっぽいのが見える
X とpetと oが頭から離れない
地下の牢獄に移動する時にSさんに
私達は地下の牢獄に移動した
「Sさん、petだかpilaとか聖書の関連にそんな人物いませんか?」
「ピラトpilatoだったらイエスを陥れた人だよ」
そっか・・・でもなんか違う気がする
牢獄で上から縄で吊るされていたイエスがいたと思しき場所に立ち、壁を触ってみた
まるで出産する時みたいだな、とまた思った
何かが、上の存在がイエスの身体に何かしてる
それは聖墳墓教会でも感じた事だった
細胞レベルで来るべき死に向けて身体がものすごい速さで変容していく
イエス自身はそれについていくので精一杯だったのではないだろうか
痛みを感じるとか、そんな次元を越えていたかも知れない
女性が本能的に子供をただただ突き上げて来る激烈な動きを本能的にキャッチして出産する様に、とにかく自分の身体についていっているイメージがあった
それから一番弟子のペトロが司祭の中庭でこっそりイエスの動向を窺いながら火にあたっていた場所に行った
それも教会の中にあった
祭壇があって、後ろに岩が露出している場所がありそこで聖ペトロが火にあたっていたという
その岩に直接触りながら、Sさんから話を聞いた
「ペトロはナザレから来たとバレたらイエスの弟子という事が知られてしまうので、彼らが言ってる事を最初理解できないふりをしたんだ。だけど結局イエスの事を知らないと答えてしまった。三度も」
「彼はただただ実直な、アツい熱血漢だったのではないでしょうか」
「そうだね。俺もペトロに関してはそんなイメージがある」
「イエスのあとついてきたのも、ただ心配でしょうがなくて非常に男気溢れる一直線な感じなんじゃないかなと思います。なんか、遠藤周作の沈黙に出て来るキチジローみたいですね。すごく人間味がある」
'Silence' Official Trailer (2016) | Liam Neeson, Andrew Garfield
「彼はローマで殉死するのだけど、師と同じ様に十字架にはりつけられるのは申し訳ない、と逆さまの磔刑を希望したんだよ。それぐらい志の高い人」
すごいなあ・・・
ますます私は沈黙の逆さにされるシーンを思い出していた
Sさんは私の目を瞑ったり何か書いたりする事に、もう全く驚かなくなっていた
ありがたい事だ
次の場所に移動する時に、
そういえば聖ペトロは
Peter
petro
petrus
だね・・・と思った
けれどなぜそれを繰り返し教えられる必要があるのかな?
まさか万国民教会での印も、謎の英字の謎も、この時はその日の内に解き明かされるとは思っていなかった